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黒人奴隷の歴史を学んで見えた『青空』の歌詞の意味

スズキサトシ(@sasa_rhythm)です!

 

ブルーハーツを代表する名曲であり、詩人マーシーの天才ぶりを世に知らしめた作品である『青空』。

 

1989年に発表されてから数多くのミュージシャンにカバーされ、後世に歌い継がれていくことは間違いありません。

 

ところで、みなさんはこの曲の歌詞の意味について、今まで深く考えたことはありますでしょうか?

 

僕も深く意味を追求したことは無かったのですが、ここ数か月、黒人奴隷の歴史について映画や書籍で学んでいたら、自分なりに意味が見えて来たような気がしました。

 

もちろん自分の解釈が絶対に正しいと言うつもりはないですし、捉え方は人それぞれだと思います。

 

よくヒロトが『受け取った人が自由に解釈してくれればいい』と言ってますが、まさにその通りだと考えてまして。
もっとも、同曲はマーシー作ですが、同じように考えても差し支えないでしょう。

 

ということで、あくまで受け取った一人の解釈として、『黒人奴隷の歴史』と絡めながら青空の意味を紐解いていきたいと思います。

 

みなさんの解釈を助ける一つの意見になれば幸いですね。

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ブルーハーツ『青空』の歌詞の意味

本来ならば先に青空の歌詞を全文載せたいところですが、著作権の問題があり載せられません。

 

Googleで検索するとすぐ出てくるので、併せて見ながら読み進めてもらえるといいかなと。

 

歌詞を区切り、順番に意味を考えて行きましょう。

「ブラウン管~撃ち倒した」

「騎兵隊がインディアンを倒すテレビ映像」を見ていた光景がすぐに想像できますが、テレビを見ている描写を「ブラウン管の向こう側」と表わすセンスがまず尋常ではありません。

 

その後のインディアンのくだり、というか歌全体を通してアメリカの歴史、とくに黒人奴隷の歴史が密接に関係していると感じます。

 

ご存知の通りアメリカはヨーロッパ人の入植により切り開かれた過去がありますが、その際にインディアンの大量虐殺が行われました。

 

歌詞が描いてるのはまさにこうした光景ですし、インディアンを題材とした映画も数多くありますので、映像を見ていた光景が、マーシーの実体験と考えても不思議ではありません。

「ピカピカ~よかったのに」

衝撃的な光景を見て、「その銃で自分の憂鬱を消して欲しい」と思う心境を描いているのは明白。

 

しかし、いわゆる普通の明るい精神状態であればそんなことは思わないでしょうし、よほど精神的に疲弊した状態であることが想像できる一節だなと。

 

ここで憂鬱という単語が登場しますが、実はブルースという言葉は、ほぼ憂鬱と同義として用いられます。

 

軽くブルースの歴史に触れると、ブルースは黒人奴隷の歴史が産み出した音楽であり、一日中労働に明け暮れ、辛い心情を吐露する手段として音楽を用い、日々の心境などを歌っていました。

 

そのため『ブルース=憂鬱を吐き出すもの』として、辛い心情自体を、ブルースという言葉で語るブルースマンも多いです。

 

これを踏まえた上で、青空の歌詞の上での憂鬱に話を戻すと、個人的には文面通りの意味での「憂鬱」という言葉でありつつも、ブルースの意味を捉えた上で使われているんじゃないかなと思うわけです。

 

後の歌詞で人種差別に関する内容も出てきますしね。

 

事実マーシーの作る曲ではブルースという言葉が頻出します。
ざっと挙げても『TRAIN-TRAIN』(ブルースは加速していく)、『ブルースをけとばせ』、『BEATにしびれて』(ブルースを踵に引きずりながら)等々。

 

これだけ多く使われるのはやはりマーシーの中に明確なブルースの意味合いがあるからと感じるところで、ゆえにここでの憂鬱も、単なる意味での憂鬱ではないと推測するワケです。

「神様に~本気なのか」

ここで出てくる神様は色々な解釈ができますが、2つの考え方で掘り下げていきましょう。

 

まず一つ目は「キリスト教」。

 

奴隷は専ら農作業などの仕事に従事させられていましたが、もちろん農場によりけりでしょうけども、日曜日だけは教会へ行ける自由な時間を設けていたこともあったそうです。
それでもってアメリカにおいてはキリスト教が大多数。

 

宗教批判をする気は毛頭ないことを前置きとし、得てして宗教団体には献金システムが存在します。

 

「神へお金を献上することが善行であり、それが幸福へと繋がる」という考え方に基づくものだという考えなのでしょう。

 

そう考えると歌詞で言うところの「神様にワイロ」は献金などの献上行為であり、「天国へのパスポート」は望んでいる願いや幸福、と結びつけても特に違和感はありません。

 

いずれにせよ、「本気なのか?」という一節で終わることからも、そのような行為に対して疑問を呈してるのは分かりますね。

 

二つ目は「イスラム教」。

 

黒人奴隷はアフリカから拉致され、売られてアメリカに連れられてきた経緯があります。

 

アフリカではイスラム教が多数派であったため、黒人たちは無理やりキリスト教に改宗させられていました。

 

読者の人に分かりやすく例えるならば、「今日からブルーハーツは一切聴くな」と強制されるようなものです。

 

人気海外ドラマ『ルーツ』では連れ去られた主人公がアメリカに来てからも、自国の神を信じ続ける姿が描かれており、実際にもそういった人は多かったのでしょう。

 

こちらの場合の「天国へのパスポート」の解釈が難しいところですが、どんな宗派であれ、お金以外にも食べ物などの献上物はあると思うところ。

 

「いくら神頼みをしても辛い現状は変わらないだろ?」という意味合いの歌詞だと考えると、こちらの意味合いでも大きな違和感はありません。

 

とはいえ、前者の方が意味合い的にしっくり来るとは思いますね。

 

そもそも奴隷はお金を持てる身分では無かったため、時代性を考えても黒人が神へ何かを献上していた事実はなかったかもしれませんが、いずれにしても「望んでいるだけでは何も変わらない」というメッセージが伝わってくる内容と感じます。

「誠実さ~見せてみろよ」

この部分が一番抽象的な箇所のように思えますが、個人的には明確な光景が浮かびます。

 

黒人差別を題材にした映画を見ると決まって登場するのが、黒人を苦しませて喜ぶ白人という光景。

 

とくに白人農場主と黒人奴隷という関係性となると、書くに堪えない悲痛な物事ばかり。

 

脱走した黒人を鞭打ち・吊すなど、同じ人間とは思えない所業が横行していました。

 

よってここで言うところの「誠実さのかけらもなく笑っている」のは劣悪な白人であり、「隠しているその手」は痛めつけるための武器を持った手や、その狂気性自体を指しているのではないかと。

 

それを踏まえた上で、『決して屈してならない』という反骨精神を持っての「見せてみろよ」という反旗を翻すような言葉なのかなと思っています。

「生まれた~分かるというのだろう」

ここはそのまんまの意味ですね。

 

黒人奴隷の悲痛な過去と、果てしなく辛い日常を考えれば、この言葉の持つ重みは計り知れません。

 

「黒人は白人に比べ劣った人種」
「知能が劣るため、単純作業しかできない」

 

そんな論拠の無いことを常識として白人は振りかざしていたわけで、恐怖で抑圧し、家畜同然の扱いを強いていたのです。

 

いつの時代でも人を見下すことで自分の重要性を誇示する人間はおり、現代においても学歴・職業・容姿その他様々な尺度で人に優劣を付けるのはよく見受けられること。

 

歌詞で言っているのが黒人に関してであったにせよ、「特定の物事でその人を判断できやしない」というメッセージ性は不変であると感じます。

「運転手さん~どこでもいい」

歌詞中では『バス』が登場しますが、黒人奴隷産業が隆盛を誇っていた時代、まだ自動車は発達しておらず、移動手段といえば専ら馬車でした。

 

バスにせよ、馬車にせよ、移動手段であることには変わりなく、先まで述べて来たように黒人奴隷の日常は本当に酷い有様で、当然、「どこでもいいから、ここでは無いどこかに行きたい」という思いは当然抱いていたはずです。

 

そう考えると歌詞全体を見ても、『最も悲痛な心の底からの願い』がこの部分であると感じるところであり、サビになっているのも非常に納得のいくところ。

 

しかしこれだけではバスから馬車へのごじつけ感がありますので補足を。

 

黒人差別とバスと聞くと真っ先に浮かんで来るのが、ローザ・パークスの『モンゴメリー・バス・ボイコット事件』。

 

こちらは時代が進み、1950年代の公民権運動のきっかけとなった事件で、「白人優先席に座っていた黒人女性ローザ・パークスが、白人に席を譲らなかった故に逮捕された」といった内容。

 

現代からすれば考えられませんが、当時は人種差別が根強く残り、このような区分けをされるのが一般的でした。

 

やや話がそれたものの、歌詞の根幹に黒人差別というものがあると考えると、このようにバスという言葉を使う必然性はありますし、何よりバスの方が理解しやすいという面もありますよね。

「こんなはずじゃ~真下で」

黒人の人たちは元々アフリカで自由に暮らしていたのに、それを奪われ見知らぬ土地に連れて来られ、子孫たちに至ってはアフリカの土地を踏むこともありません。

 

途方もない苦しい日々に「こんなはずじゃなかった」と思うのは当然であり、自分の現状を作りだした暗い『歴史』があるのは先まで書いてきたとおり。

 

その歴史により自分は際限の無い苦しみに苛まれ、絶望に暮れる日々を送る、そんなことを『歴史が僕を問い詰める』という言葉で表しているんじゃないかなと。

 

そして最終的に『青い空の真下で』と歌われるワケですが、ここでいう青空は希望に満ち溢れたものではないと感じます。

 

黒人奴隷は主に綿花の収穫などの農作業に従事させられていましたが、強い日差しが降り注ぐ中、一日中刈り取らなければいけないのです。

 

辛いことをたくさん見て・体験して色々と考えながら目に入ってくる青空はいったいどんな風に見えるでしょう?

 

そこで感じるのは心地よさよりも、自分の辛い日常と綺麗な空を対比することで、より世界を残酷に感じてくるんじゃないかなと。

 

青空の光景は、哀愁に満ちた、悲しみを匂わせるものだと僕は思います。

「黒人奴隷の歴史を学んで見えた『青空』の歌詞の意味」まとめ

以上、長々と青空の歌詞の意味について考えてみました。

 

この考えに至るまでに20本近くの黒人奴隷やブルースを扱った映画や、いくつかの書籍を読んだりしたので、論拠が希薄なものには多分なってないのかなと。

 

しかし、冒頭にも書いたようにあくまで僕の一意見にすぎず、絶対的なものだとは全く思っていません。

 

本当のところの意味はマーシーしか分からないでしょうし、歌詞の解説などするはずがありませんので、まさに「謎はついに解けなかった」というやつでしょう。(マーシーソロの名曲である空席の一節)

 

聴いた人が各々感じる事や思い描く光景がきっとあるでしょうから、ヒロトの言葉の繰り返しになりますが、受け取る人が自由に考え楽しめれば、それでいいんじゃないかと思いますね。

 

この記事がきっかけで黒人奴隷の歴史や、ブルースに興味を持った方がいれば、おすすめ映画をまとめた記事がありますので、ぜひ参考にしてみてください。

黒人差別・奴隷制を扱ったおすすめ映画を紹介【覚えておきたい歴史】 『本物の叫び』おすすめのブルース映画

最後まで読んでいただきありがとうございました。
少しでも楽しんでもらえたらならば、嬉しいですね。

黒人奴隷の歴史を学んで見えた『青空』の歌詞の意味 『動画版』