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かもめのジョナサンを読んで感じた十四才の歌詞の意味

スズキサトシ(@sasa_rhythm)です!

 

いつか読もうと思ってずっと読めてなかった、ハイロウズ屈指の名曲『十四才』の元ネタとして有名な、リチャード・バッグの『かもめのジョナサン』をようやく読めました。

 

実際に読んでみると、ふわっとしていた歌詞の意味が鮮明に見えて来ましたし、ヒロトがどんな部分に感銘を受けてインスピレーションを得たのか、何となく分かった気がします。

 

そこでこの記事では、『かもめのジョナサン』の内容を踏まえながら、僕が感じた十四才の意味について書き連ねていきたいと思います。

 

文章中では思いっきり小説のネタバレが入ってきますので、自分自身で先に読みたいという方は、完読後に再度記事を読みに来てもらえると非常に嬉しいですね。

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ということで早速解説に入っていきましょう。

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かもめのジョナサンの概要

歌詞の意味を解説するにあたっては、前提として『かもめのジョナサン』がどんな話か読者の皆さんが理解している必要が。

 

そこでまず初めに、簡単に『かもめのジョナサン』の内容について紹介します。

 

タイトル通り、主人公は『ジョナサン』という名のカモメ。

 

群れの中で生活しているのですが、実は周りからは「変わり者」として認識されており、親からも飽きれられるほど。

 

というのも、大半のカモメは「食べること」がもっとも重要な目的であり、食物にたどり着くために岸と沿岸の往復が必要な為飛ぶにすぎず、飛ぶことにそれ以上の意味はありません。

 

しかしジョナサンは違い、食べることよりも重要なことは飛ぶことと考えており、他のカモメが食にありついているのにわき目もくれず、日夜いかに早いスピードで飛ぶか、難しい飛行術を会得するか、に時間を費やしているのです。

 

最終的には「輪を乱す無責任な行動」として咎められ、ジョナサンは群れから追放させられることに。

 

ジョナサンはその後も絶え間なく努力を続け、ついには目標としていた技術を会得します。

 

続いて舞台は雲の上の世界へと移り、そこにはジョナサンと同じく「飛ぶこと」を目的としたカモメが存在し、そこで初めて師となる人物との出会いが。

 

さらなる鍛錬を積み、「自分自身が無限の可能性を持ったカモメ」と認識することで、超常的な能力を身に付けるに至ります。

 

その後は自力で雲の上の世界に到達した、新入りのカモメを指導することに勤しむのですが、疑問を感じることがありました。

 

自分が今知り得たことを、地上に住んでいた際に少しでも知り得てればもっと豊かな生活が送れたであろうし、自分がやるべきことは、得た知見を地上のカモメに伝えることではないだろうかと。

 

そこでジョナサンは地上へ戻り、かつての自分と同じように飛ぶことを目的としたカモメに指導を始めます。

 

何匹かのカモメに技術を伝授したのち、最終的にジョナサンは光と共に消え去り、その後は残った弟子が技術の継承をしていき、ジョナサンの教えが地上の世界に広がっていくというもの。

 

これが物語の顛末になります。

 

実は2014年に最終章が発表され、物語には続きがあるのですが、当然ヒロトが読んだ時点では公開されてないものであるため、十四才のインスピレーションには関係しないですよね。

 

しかし非常に考えさせられる物語の終わり方であり、いわゆるファン心理について問い詰めたい興味深い内容であったため、最後に紹介したいと思います。

 

ひとまずここまでの内容を踏まえながら、十四才の歌詞の意味について考えていきましょう。

ハイロウズ「十四才」の歌詞の意味

ジョナサン~どうなってもいいよな

ここは完全に小説の情景描写ですね。

 

先にも書いたように、ジョナサンは「飛ぶこと」に意味を見い出し、自分のスピードの限界に挑戦します。

 

身を危険に晒しながら、水面に向かって何度も急降下する様が何度も登場するため、まさにその様を描いていると言えるでしょう。

 

ただ「どうなってもいいよな」という言い方を考えるに、その行いを見て、同調する語りかけのようにも思えます。

一発目~僕の心に刺さった

ここは一連の流れなので、ちょっと長いですがひとまとめで紹介。

 

猛烈に感動した様、感銘を受けた様の描写なのは確かですが、「何に」というのがはっきりしないところ。

 

前の部分の歌詞でジョナサンが登場することから、小説『かもめのジョナサン』と捉えてもおかしくはないですし、後述する最後の歌詞から『音楽』と捉えても違和感はありません。

 

小説の物語はカモメの世界を舞台にしているものの、暗に人間社会を指しているのは明らか。

 

「食べるためだけに生きているカモメ」と「食べれなくても自分のやりたいことに没頭するカモメ」が対比されています。

 

小説を読んでなおさら音楽ができる喜びを感じ、ジョナサンにとっての「飛ぶこと」は、ヒロトにとっての「音楽」であると感じたならば、2つの点が繋がるようにも思えます。

リアルよりリアリティ

もっとも難解な部分と言っても過言ではないでしょう。

 

前提として「リアル」と「リアリティ」が別の意味として扱われている点から、掘り下げて考えてみます。

 

ジョナサンを踏まえて推論を立ててみると、「リアル=食べていく」という現実であり、「リアリティ=飛ぶこと」という本質なのかなと。

 

つまりリアルは避けられない現実なんだけれども、それよりもリアリティな本質的なやるべきことを大切にしたい、やりたい、といった意味が込められているのではないでしょうか?

 

小説の中ではとくにリアルの類の言葉は出てきませんので、あくまでヒロト自身が産み出した言葉であり、これを紐解くのは不可能に近いでしょう。

土星~路傍の石

ここもちょっと長いですがひとまとめに。

 

「石」というのが登場するわけですが、後述する最終章があった上で石が出てくるのは非常に合点がいくのですが、最終章が無く、「石」を考えるのは非常に難しいところ。

 

最終章以前では、特段「石」に関連する描写が存在しない為です。

 

ゆえにここで出てくる「石」は、ヒロトなりの解釈や意味を持って登場したものと思われます。

 

いつもインタビューで言ってるように、意味は無い可能性も十分にありますが。

 

しかし歌詞の意味を考える記事で意味が無いと言う事もできませんので、改めて考えてみましょう。

 

そもそも「石」自体は意味が無いものですが、歌の中でなぜここまで美しく見えてくるかというのは、状況ゆえですよね。

 

「土星の周りに浮かぶ」「アリゾナの砂漠に沈む」「金星のパイロンをかすめて飛び去る」その状況、すなわち理由付けがあるからこそ、単なる石に思えなくなっているはず。

 

そしてこれらの理由を行動と考えるならば、本来意味が無いものであっても、行動があるからこそ意味を成してくると捉えても違和感はありません。

 

ジョナサンを用いるならば、「カモメの一生」に意味は無くても、飛ぶことを追求することで「カモメの一生」に意味が生じてくるのではないでしょうか。

 

つまり人間自身も何か行動を起こすことで、意味があるものになってくるという主張が、本質的にはあるのではないかと思います。

 

最後に「流れ星」と「路傍の石」(道端に転がっている石)が登場するわけですが、そもそもどちらも石であることには変わりません。

 

違いは、流れ星は空を飛んでおり、路傍の石は動かないまま。

 

本質的には同じものであるにも関わらず、片方は多くの人の興味関心を引き、片方は目もくれられないことを考えると、行動することの重要さが暗に見えてくるように思わずにはいられません。

ジョナサン~足りないよな

こちらも冒頭と同じく、小説の描写からインスピレーションを受けたような内容。

 

ジョナサンは生涯をかけて「飛ぶこと」を追求しており、それを受けて「人生も一生じゃ足りない」と感じたのでしょう。

 

ジョナサンと同じく、何かを追求し続けることへの憧れ・賛同といった意図が感じられます。

あの日の~してやるぜ

最後は自分にとっての飛ぶことは音楽だということを、象徴する言葉で締めくくられます。

 

ジョナサンは自由に日々空を飛んでいたわけですけども、ヒロトにとってそれはレコードかけること・音楽を楽しむこと、といった意味合いになるのでしょう。

 

少なくともこの記事を読んでいる人は、ヒロトマーシーにロックンロールの洗礼を浴びせられた人間だと思いますが、音楽好きは誰しも経験している衝撃を、このような言葉で表現できるのは、すざまじいとつくづく感じます。

余談:かもめのジョナサン最終章で考えさせられたファン心理

最初の方で書いたように、「かもめのジョナサン」には2014年に発表された最終章があります。

 

簡単に内容を説明すると、ジョナサンの「飛ぶこと」の教えが広まっていったまでは良かったものの、次第に「ジョナサン自体」に大半のカモメの関心が行き、最終的には「飛ぶこと」の努力などしなくなり、ジョナサンを神と崇めはじめるというもの。

 

小石の山で石碑を作り、飛ぶことすら辞めて、ジョナサンの「聖なる言葉」を復唱することに意味を感じるという、ちょっと恐ろしくなるような展開に。

 

しかしそんな状態に疑問を感じるカモメがおり、彼の元に「ジョナサン」と名乗るカモメが現れたところで、物語は幕を閉じます。

 

第3章で登場する象徴的な一節で、象徴的な言葉があります。

 

「噂というやつは、誰かを悪魔にしちまうか神様にまつりあげてしまうかのどちらかだ。」

 

まさに的を得た言葉だなと、個人的に思うところであり、ヒロトマーシーに限らず、往々にしてミュージシャンは神様に祭りあげられてますよね。

 

表に出てこないだけで、陰には泥臭い努力があり、それゆえにたどり着いてる境地なのに、「元から天才だった」「才能が違う」という表現はよく聞く話。

 

僕もこうしてヒロトマーシーに関する情報を発信しているわけですけども、猛烈に妄信しているわけではなく、いくらヒロトマーシーの曲でもメチャクチャ嫌いな曲もあります。

 

もちろん好きだからこそやっているわけですが、フラットな目線を忘れているわけではないのです。

 

まれに自身の好きなアーティストの言葉を全て金言のように扱い、産み出したもの全てを美しい物と捉える人がいますが、そこまでの境地になると、ある種宗教と変わらないのではと感じるところ。

 

まさに「かもめのジョナサン」で描かれたのはそのような光景であり、極端な偶像崇拝に警鐘を鳴らしているストーリーと言えるでしょう。

 

多くのカモメが、ジョナサンやその弟子たちは「出来が違う才能に恵まれたカモメ」と確信し、「自分たちと何ら変わりないカモメ」といくら言っても聞く耳を持たない様が、現代においても色々な場面において当てはまりそうです。

 

同作を読み、改めてファン心理の怖さ、というのを感じたところでした。

「かもめのジョナサンを読んで感じた十四才の歌詞の意味」まとめ

かなり長くなってしまいましたが、十四才の歌詞の意味を考えてみました。

 

前提が前提だったので、「かもめのジョナサン」に対する言及が多かった点、ご了承ください。

 

ヒロトよりもマーシーが読書家として知られてますが、マーシーが読む本は難しい本や、長編の物ばかりなんですよね。

 

その点、「かもめのジョナサン」はわりと薄い本で、普段あまり読書しない人もサクサクと読めるはず。
もっとも、ここまで書いてきたように内容は非常に濃いですけどね。

 

実際に小説を読まずして、記事を完読いただけた方も多いと思うので、ぜひこの機会に「かもめのジョナサン」を手に取ってもらえると、今まで何度も聴いてきた十四才が新鮮に聴こえてくるはず。

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あくまでも僕の解釈に過ぎないので、ぜひ小説を読み、自分なりの解釈を考えてもらえると嬉しいですね。

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かもめのジョナサンを読んで感じた十四才の歌詞の意味 『動画版』